文系人間がデータサイエンティストを目指すブログ

中学で数学をあきらめた超文系人間が、大学院に進学し、データサイエンティストを目指すという無謀なブログです。

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感情と論理のダブルスタンダード

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いまさらだけど、

1年くらい前の出来事。

 

「僕はあいつのことは、大っ嫌いだけど、

頑張ったのは事実だし、それで周囲からの信頼も得て、次のチャンスを与えられた。

だからと言って、好きになるかと言われれば、そうじゃないけど、

新しい環境でも頑張って欲しいし、ちゃんと成果を出して報われて欲しいな。」

 

と、よくわからない感情を抱える出来事がありました。

 

詳細は省きますが、

僕はその人のことが大っ嫌いです。

人見知りなので、

「苦手な人」は多いんだけど、

数少ない「大嫌いな人」なのです。

 

どれくらい嫌いかというと、

(苦手な要素A×苦手な要素B)+(苦手な要素C×苦手な要素D)+(※中途省略)+(苦手な要素Y×苦手な要素Z)=「大嫌い」

というふうに、多少のプラス材料じゃ、ひっくり返せないくらい、嫌いな状態なのです。

 

ただし、1年前の「事実」を、ひとつひとつ組み立てていくと、

「周囲からの信頼を得ている」「仕事に対する責任感も強い」「新しいチャレンジの場を与えられた」

ということで、

「他者からの評価が高い」というのが、事実から導き出したひとつの答えでした。

 

僕は、ちきんと努力した人が報われたり、

成果を出した人が正当に評価されることが好きです。

 

だから、彼のことは、大嫌いなのは変わらないけど、

彼が、頑張って報われた事に対しては嬉しいし、

今後も「頑張って欲しいな」、と思うのです。

 

周囲からされている事に対して、

「うまくやりやがって」とか

「評価者の目は節穴か」とか

嫉妬方面に走らなかったのが幸いですね。

 

同じ事実でも、

「感情」というフィルターを通すと、

「解釈」は大きく異なってきますからね。。。。

 

 

と、いまさらなんで1年前の話を持ち出すかというと、

この本を読んで、

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「空気の研究」山本七平

1年前の僕の感情の構造がわかったからです。

 

ただ、たまに、

「嫌いなものを、「嫌い」で完結させれたら、どんなに楽だろう」

と思いますけどね。

 

さて、いまから負け戦に出陣です。

命を取られないだけマシだな。

 

では、今日はこの辺で。

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