多賀大社に参拝した話
何を隠そう私は宗教に関心がある人間である。
しかしながら、公然と宗教好きとは言いにくい。
よく訓練された不自然な笑顔のご婦人に、土曜日の朝から家のインターホンを鳴らされたり、選挙前になると音信不通だった義務教育時代の同級生から電話がかかってきたりするような事態は避けたいのである。
元々対人コミニュケーションに難がある人間であるが故、ご容赦いただきたい。
私は単に宗教というものが、数百年から数千年にわたり人々に信仰される理由が何なのか?と少ない好奇心から知りたいだけなのである。
前置きが長くなったが、彦根に居住して1ヵ月、生活にも幾分か余裕が生まれ、出かけてみたいと言う強烈な欲望に襲われることとなった。
幸いにして、滋賀県は緊急事態宣言も解除されたしぃーと思い、以前から興味のあった多賀大社を訪れることにした。もちろん3密は避けし、壇蜜女史は近頃とんと見ないが元気なのだろうか。
多賀大社は、伊勢神宮内宮に祀られている天照大神のご両親である伊邪那岐尊・伊弉冉尊を祀っている。伊勢神宮に(生活するために)お世話になっている身分としては、ご両親にご挨拶に伺わないのは、不忠もいいところである。
さて実際に参拝するにあたり、自転車で行くか、電車で行くかと言う選択を迫られた。
当初は自転車で行こうと思ったが、暑いし坂道もわからないしぃ・・・・という怠惰な理由と、乗り鉄の端くれとして近江鉄道に乗ってみたいという静かな欲望が芽生えたため、結論としては電車で行くことにした。
近江鉄道の車両は西武鉄道からのお下がりと言う情報は事前に仕入れていたのだが、実際に目の当たりにしてみると、年金受給開始年齢が後ろ倒しになったため、定年後もしぶしぶ再雇用を希望せざるを得ず、しぶしぶ働かされているサラリーマン見る気がして何とも言えない気分になった
多賀大社最寄りの多賀大社前駅は、駅舎こそしっかりしているが無人駅であり、社会情勢もあってか、どことなく寂しい雰囲気だった。
鳥居には何とも言えない厳かさを感じてしまう
駅を出て5分程度で街道にでる。
この道幅と曲くねり具合に不覚にもニヤニヤしてしまう。己が平均的な日本人より街道好きだとおもう瞬間でもある。
もし宝くじが当たったら、迷わず街道沿いの空き物件を買ってしまうだろうな、と思いつつ通り過ぎる
このように人工的に、っぽくさられた街道にはあまり魅力を感じない
本稿には全く関係ないが、この付近でロジスティック関数の分母に対する疑問が解けたことを付け加えておく。確率が0.5を下回るのにはxがマイナスの値を取らなければいけないが、はてはてどうするのであったっけという状態が標準化と言う単語が浮かんだことにより、解決の糸口になり、喜びがトッピングされ、より一層ニヤニヤしてしまった。
文末に「・・・・」をつけるのは私もよくやってしまうのだが、これはひとえに自分への自信のなさからである。
ただ、店の売りにする以上は、もっと自信もたなアカンのではないかな・・・・・
いよいよ到着である。
真ん中にあるのは太鼓橋と言う。
太閤橋とも呼ばれるらしい。
住吉大社の太鼓橋に見慣れた人間としてはなんとも言えない気分になる
なお、境内は予想よりもコンパクトである。
神社と言えばやはり森である。
天然パーマであるがゆえ、人の10倍は湿度に敏感なのであるが、神域の森には居心地良さを感じてしまう。
0.1トンの人が10人集まればこの橋は落ちるのかと、今まで出会ったふくよかな人たちを思い浮かべてしまった。
病気が治癒したからよかったものの、もし万が一大政所様が治癒しなかったら一族郎党皆殺しにされたのだろうか。
何とも言えない表情の犬。
生理的な羞恥心からこの表情になったんだろうなと早合点していたが、看板の意図を鑑みると道徳的羞恥心から来る表情なのであろう。
コロナさんが来る前はもっとインターナショナルな地域だったのかもしれないなと思った。
1時間もあればゆっくりと参拝できてしまうが、電車が1時間に1本しかないため1時間半も滞在してしまった。ただ参詣道にはええかんじの店がたくさんあるので、1時間半と言う時間は本来であればちょうどいい時間帯なのかもしれない。
なお近江鉄道はよく揺れるが、田んぼの中を走ったりしているので、撮り鉄には格好のオカズなのかもしれない
近江鉄道はICカードが使えず、久しぶりに係員さんに切符を渡すと言う体験をし、非常に緊張したことを最後に申し添えて、本稿の締めとしたい。